
Oussama Ammar
悲観主義への反論
物事は、根本的によくなるわけでも、悪くなるわけでもない。逆説的に期待を裏切りながら、構造としてはやっていける。それだけだ。
だから、やることは必ず残る。だから、悲観主義には意味がない。
世界について、私たちは二つの物語を売り込まれている。
一つ目は進歩。すべてがよくなっている。技術、健康、富。どれも上向きだ。待っていればいい。未来は明るい。
二つ目は衰退。すべてが崩れている。気候、政治、社会。どれも崩壊に向かっている。身構えろ。終わりは近い。
どちらも間違っている。
私は、成長した会社も、消えた会社も作ってきた。財産が築かれるのも、失われるのも見てきた。そして気づいた。水位はだいたい同じままだ。ただ、場所から場所へ移るだけなのだ。
ここで問題を解けば、あちらに問題が生まれる。一つの戦いに勝てば、別の戦いに負ける。差し引きの状態はほとんど変わらない。移り変わるだけだ。
逆説的に、期待を裏切る。
何を達成しても、望んだものと得たものの間には、必ず隙間が残る。これは不具合ではない。現実の構造だ。
何もかも解決した地点には、決して着かない。そんな瞬間は存在しない。隙間は永久に残る。
構造としては、やっていける。
それでも、床は持ちこたえる。抜け落ちはしない。人は適応し、作り、やり直す。仕組みは衝撃を吸収する。
論理的に、何が言えるだろう。
やることは必ずある。解くべき問題、埋めるべき空白、改善できる何か。工事現場は、決して閉じない。
悲観主義者は、失望を見て止まる。
作る人は、同じ失望を見て考える。なるほど、取り組めることがもう一つ増えた。
私は、どちらになりたいか分かっている。
Daedalium に初掲載。