Oussama
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Oussama Ammar

権力は権力だ

ローマ人には、力を表す言葉が二つあった。

インペリウム。命令する法的権利だ。肩書きや階級、組織図の位置に付随するもの。持っているか、いないかのどちらかで、鍵のように正式な手続きで引き渡される。

アウクトリタス。人々が本心からついていきたいと思う、その人自身の重みだ。言葉にしにくい。授けることはできない。元老院議員にはそれがある者とない者がおり、ローマの誰もが違いを知っていた。

奇妙なのは、私たちがこの二つを一つの言葉にまとめてしまったことだ。どれも「権力」「権威」「リーダーシップ」と呼ぶ。そして、誰かを昇進させてチームが壊れると、驚いた顔をする。

こういうことが起こる。誰かがインペリウムを手に入れる。昇進、肩書き、部下の人数。組織は、それと一緒にアウクトリタスが生まれるのを待つ。生まれない。もともと、そんな仕組みではない。この二つは、常に別々の仕組みだった。

私は、この失敗を繰り返し見てきた。賢い人が管理職に引き上げられ、形式上は責任者なのに誰も言うことを聞かない理由が分からなくなる。そこで、インペリウムにいっそう頼る。組織図、人事評価、承認手続き。それこそが、築こうとしていたアウクトリタスを壊す行動なのに。

逆の順序なら、もっとよく機能する。正式な権限を得る前に個人としての権威を積み重ねた人は、それを長く保ち、目立たない形で使う傾向がある。誰が責任者かを、わざわざ思い出させる必要がない。

ローマは、両方を別々に見ていた。正式なインペリウムが皆無でも、巨大なアウクトリタスを持つ元老院議員には、誰もが従った。執政官が法的権力をすべて持っていても、誰も同じ部屋にいたがらないこともあった。

私たちは、この二つの区分を潰した。そして今、多くの会社が自発的な関与ではなく服従で動く理由を、不思議がっている。

しかも、その先にはさらに厄介なことがある。

AIは、生産から得られるインペリウムをすべて吸収しつつある。

かつて能力の証明だったあらゆる仕事。メモ、分析、コード、資料。今ではモデルに任せられる。成果物は存在する。それを作る行為に付いてきた権威は消える。

残るのは、そもそも成果物の中になかった唯一のものだ。何を頼むかを決める判断力。信頼されてきた実績。その人が話すと、静まる部屋。それがアウクトリタスであり、最初から本物だった。インペリウムが全員を忙しくしていたので、気づかなかっただけだ。

生産することにキャリアを築いてきた人々は、積み重ねていた資本の種類が間違っていたと知ることになる。

Daedalium に初掲載。