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「学び方を学ぶ」のイラスト

Oussama Ammar

学び方を学ぶ

私が最も感心する起業家は、学習曲線が最も急な人たちだ。学ぶべきことがたくさんあり、その曲線をできるだけ速く上向かせようとする人たちである。

学習曲線をどう定義し、どう改善するか?

私たちはそれを感じ、その存在を知り、何より重要だと言う。だが、実際にどう測ればいいかはわかっていない。初対面の起業家の学習能力を私がどう判断するのかと聞かれたら、指をなめて空中に立て、風向きを確かめるようなものだと答えるしかない。

実際、なぜある人は速く学び、ほかの人は時間がかかり、ときにはまったく学べないのかを説明するのは簡単ではない。それでも私は、学習曲線が単なる自分の勘に頼る神秘的な話だとは思いたくなかった。そこで、客観的に表現する方法を探してみた。

難しかった。それでも私は、いくつかの手がかりを見つけることができた。

まず、問いの答えをどう見つけるかを見る

かつては質問の答えを得たければ、図書館へ行き、人に話を聞き、専門家を探す必要があった。時間も労力もかかった。今はGoogleも、Quoraも、Wikipediaも味方になる。この世界で答えを探す方法がわかれば、学ぶ速さは大きく上がる。わからない人がいるからこそ、私の受信箱を「代わりにググってあげましょうか」と自動返信する設定にするだけで、メッセージの75%は一瞬で消えるだろう。

冗談であってほしいが、そうではない。

次は、自信の問題だ

これも正確な数値にするのは難しい。だが、自分に正直であれば、どれくらい自信があるかはかなり簡単に感じ取れる。誰かと話していても、相手の自信はわかる。そして速く学ぶための鍵の一つは、自分にはできると心から信じることだ。

ただし、盲信してはいけない。自分の性質、能力、必要としていることに完全に逆らうべきではない。例を挙げよう。脳の分析では、およそ3分の1の人は生まれつき脳に小さな違いがあり、数学の概念を理解し、学ぶことが難しいとされる。時間が余計に必要なのかもしれないし、本当に数学が向いておらず、習得できない人もいるかもしれない。人によって違う。だが、本当の問題は、それに対する私たちの反応がいつも同じことだ。学校へ行き、数学につまずくと、頭が悪いと言われ、学べないと思い込む。必要だったのは時間と、脳の再形成を助ける手段だったのに、学ぶ自信を失ってしまう。脳は変われる。MRIなどで観察すれば、脳が新しい経路や方法を見つけられる、非常に可塑性の高いものだとわかる。

速く学べる人には自信があり、自分の関心と能力の範囲を理解できる。魚なら木に登ろうとしないこと。うまく泳ぐことに時間を使おう。

得意なことに集中する

私自身、地理はまるで駄目だ。地図を渡されると、共和党の大統領候補みたいになってしまう。時間の感覚も駄目で、何年なのかわからず、書いた小切手の半分が突き返される。だから、そうしたことを気にせずに済むよう、自分の暮らしを組み立ててきた。

一方、耳で学ぶことはとても得意だ。聞いたことは覚えている。会話も苦労なく思い出せる。若い頃はテレビを見て何でも学んだ。だから何かを学びたいなら、その話を聞けるものを探すのが自分には一番いいとわかっている。

関心と能力をつかめれば、さまざまな情報源から学べる。私たちは学びを重々しく考えがちだ。真面目な場所から得るべきだとか、知的だとわかるものでなければならないとか考える。だが文化は、常に学ぶ機会を与えてくれている。映画、テレビ、ラジオ、インターネットなど、あらゆるものから新しいことを学べる。どう学ぶか、何を学ぶかに価値判断を持ち込まないでほしい。後で何が役立つかはわからない。いつでも、どこでも、学ぶこと自体に価値を置こう。

学習曲線が急な人には、決まった「学ぶ時間」がない

彼らはいつも学習モードにいる。一方で、いつも「学びたい」モードにいる人もいる。この二つには大きな差がある。学ぶことに魔法のような重みを持たせず、特定の状況や情報源だけに限定しない。完全に開かれた状態を選び、常に学ぶ。その違いだ。

学ぶ手段を整え、自分が何者で、どんな学び方をする人なのかに正直になり、いつでも学べるよう心を開いたら、学習曲線を加速させるための技法がいくつか使える。

最初は「チャンク&プロセス」、小分けにして処理することだ。猛ダッシュしてレンガの壁を倒そうとしても、頭を痛めるだけだ。だが、壁を観察して何でできているのかを見れば、レンガを一つずつ外せる。学びも同じだ。分野全体を一度に見れば、跳ね返されて倒れてしまう。だが、最も単純な考えに分け、少し複雑な考えへ、さらに複雑な考えへと進めば、習得できる内容が増えていく。

進化の過程でつくられた脳は、世界がひっくり返るような巨大な衝撃を一度に受け入れる構造にはなっていない。新しいアイデアや概念を、受け入れられる小さな部分に分けるほど、処理と学習は速くなる。そして分けたものは、毎日学ぶようにしよう。脳にしっかり定着させる一番の方法は、同じ考えに何度も何度も触れることだ。もう一度読み、もう一度聞き、もう一度書く。

学んだことは、その後に学ぶすべてに影響する

世界の歴史のある時点で、ピタゴラスの定理は驚くべき発見だった。何百年もの間、世界が知る最も偉大な定理だった。それが今では、中学生に教える内容になっている。その知識は、後で学ぶ幾何学や数学全体を必然的に変える。ピタゴラスの定理は学びの終着点ではない。始まりにすぎない。起業家を目指し、スタートアップを理解しようとすることも同じだ。今日学んだことが、明日、明後日と積み上げるものの土台になる。

急な学習曲線を持つ人は、それを理解している。何を学んでも、その上にさらに積み上げられること。そして、学んだ瞬間には見えなくても、やがて知識同士が結びつくことを知っている。

学習曲線が急な人は、記憶力も鍛える

神経科学から、大人になっても脳を訓練して記憶を維持できることがわかっている。子どものときのように、生来の能力を必ずしも拡張できるわけではないが、記憶する力を保つことはできる。

デジタルの世界に本当の危険が一つあるとすれば、記憶を失うことだ。以前は覚えていたのに、コンピューターに任せたものを思い出してほしい。電話番号。かつては頭に入っていたが、私は自分の番号さえ言えない。道順。今はGPSに従うだけだ。だからこそ脳の訓練が必要になる。意識して記憶を使い、物事を覚えて、自分で思い出して語り直す練習をする必要がある。

対象を心から好きになると、学びやすくなる

なぜか。長い話になるので、興味があればアントニオ・ダマシオの『デカルトの誤り』という面白い本を読んでほしい。要するに、学びには大きな感情的要素がある。誰かを本当に愛すると、その人と間接的に関係するだけのものの中にも、その人を見つけ始める。たとえば恋人がセーリングを好きなら、帆船を見てその人を思い出す。単純で、ばかばかしくさえ見えるが、神経の働きとしては大きなことだ。脳が自らを組み替え、物と愛する人の間につながりをつくる。知り合い全員について同じことをしていたら、頭がおかしくなってしまうだろう。学ぶ対象に感情的な愛着を感じると、学習は容易になる。学習曲線を変えたいなら、この感情の要素が非常に重要だ。学びたい対象に恋をすることができれば、脳はその対象のために、より多くの場所とつながりを用意する。

学習環境にシミュレーションを加えると習熟が進むのも、この感情の要素による。学びに対する感情的な期待が高まる状態に自分を置くのだ。マキャヴェリは自伝の中で、古典の著者を学ぶとき、読み始める前に古代ローマ人のような服を着たと語っている。アメリカン航空では、新人パイロットに制服を着せ、数か月間実際の飛行機に入らせると、訓練が速く、効果的になるとわかったという。どちらも、学びを促す精神状態や感情に自分を置き、記憶を受け入れやすい状態へ脳を導く例だ。「本物になるまで、そのつもりで振る舞え」という昔からの言葉の背後にある神経学的な原理である。

学びにおけるコミュニケーションの重要性を理解する

何かを学ぶ最善の方法の一つは、人と話すことだ。

私たちは、自分が学びたいことを知っている人を、人のつながりの中から探せる時代に生きている。そして、何かを知っている人は、たいてい喜んでその知識を話してくれる。いつも一人だけに質問すればいいという意味ではない。情報源を増やし、誰が何を知っているかに注意を払い、その力を借りよう。

学ぶときには、比喩の力を忘れないこと。物語や比喩、頭字語を覚えられれば、その考えは頭に残る。自分で比喩をつくるために時間と労力を使えば、ほかから借りたものよりさらに効果的になる。もちろん、よい比喩であることが前提だ。

教えよう!

教えることは、学ぶための最高の方法の一つだ。教えるときは説明を強いられる。そして相手の反応が、自分の理解度を明確に映し出す。人前に立って何かを教えようとすると、はっきりわかる。相手が理解したなら、説明がうまかった。理解しなかったなら、相手ではなく、適切に説明できなかった自分の責任だ。教えることには高い基準がある。対象を学んでいるだけでなく、さまざまな方法で伝えられなければならない。

最後に、いくつか

学んだときには見えなかった点同士が結びつき、その知識が後で重要になる可能性を軽く見てはいけない。知識は閉じた輪ではない。常に動き、広がっている。新しいことを学び続ける最も簡単な方法は、土台を広げ続けることだ。学ぶほど、新しいことを学ぶのが楽になる。絵画やデッサン、歴史、数学、起業に直接関係する技術的な内容。何であれ、新しいことを学ぶための基盤を広げてくれる。

そして、先延ばしは敵ではない。私たちはいつも生産しなければならず、ほかの人は毎週新しい本を出している、といった考えに追い立てられてきた。だが、余分に時間を取ることも、学ぶために必要だとわかってきている。脳に自由な時間と空間を残し、触れたばかりの新しいものを消化し、扱えるようにする。それが本当に学ぶためには必要だ。街を歩いて頭を自由にする時間を取ったからといって、生産的でないことにはならない。

追伸。ノートを取ることには注意してほしい。メモすることと学ぶことを混同する人が多すぎる。私たちの大半は二つのことを同時にするのが得意ではないので、書いている間は学べていない可能性がある。よく観察し、自分に合う方法を見つけよう。次に動画などを見るときは、ノートを取る場合と取らない場合のどちらが、より学べて記憶に残るか確かめてみてほしい。

Daedalium に初掲載。